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    メリークリスマス!ファンタジーの重要性

    ほんとうにそう思います。

    kodomo.jpg


    ※以下、大隅書店大隅書店様のリンク
    (田中茂樹先生のご著書からの引用。)

    ファンタジーの重要性


    【例】 六歳の男の子。クリスマスイブの夜のこと。塾の宿題が終わっていないことを母親が叱って、「宿題が終わらないとサンタさんは来ないよ」と言った。男の子は、「サンタさんは来るよ」と言い返した。母親は、「サンタさんはお父さんなんだから、宿題が終わってなければ絶対に来ないよ」と言った。宿題は終わらず、男の子は眠った。翌朝、プレゼントはなかった。両親は仕事に行った。男の子は、サンタさんは絶対来てくれたはずだと信じており、兄にも頼んで家の中を探し回った。兄は、母親の職場に電話をかけて事情を話した。母親は、昼休みに家に戻って、男の子が見つけられそうなところにプレゼントを隠した。やがて、男の子はプレゼントを発見し大喜びした。「サンタさんがちょっと変なところに置いたんだ」と納得した。


     シュタイナー教育で有名なルドルフ・シュタイナーは、「ファンタジーの重要性」について指摘しています(高橋巖『シュタイナー教育の方法——子どもに則した教育』角川書店、一九八七年、一一七—一五三頁)。シュタイナーは、子どもは幼いうちから理論的なことや現実的なことばかり与えられると、先の人生において非現実的なことや空想的なものの価値を、認めにくくなってしまう、ということを述べています。

     クリスマスの夜に、サンタさんがトナカイの引く橇(そり)に乗って空を行く、その姿を思い描く子どもの心、その幸せを、親として実感できないとしたら、それは私には、途方もなく悲しいこと、淋しいことと思われてなりません。また、幼い子どもが宿題をしそこなうことと、サンタさんのイメージを失うこと、その損失の大きさは、そもそも比べるべきものですらないと私は思います。

     このように、現実的なものばかりを求める親の育児姿勢は、子どもにとっては息が詰まるものとなるでしょう。まるで業務をこなすように、家庭や学校での時間を過ごすことになるでしょう。

     そして、そのような状況であれば、学校に行くことや勉強することが嫌いになってしまうのは、むしろ当たり前のことだとさえ思えてきます。


    *以上、田中茂樹著『子どもを信じること』「2 目に見えるものに偏りすぎていないか」より。


    メリークリスマス!

    目に見えないものの価値、大切にしたいですね。
    みなさま、良いクリスマスをお過ごしくださいませ。


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    theme : 生きる力の創造
    genre : 学校・教育

    子どもを信じること

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    2年前の春、この教室でひとつのイベントが開催されました。
     「子育ての心理学講座」

     講師は田中茂樹先生です。


     大学院教授かつ脳科学者であり、医師、臨床心理士として現場にもあり、地域では少年たちのフットサルチームの指導者をし、おまけに男の子四人の子育て真っ最中の父親という、稀有な方です。


     うちの教室の幸運なところは、こういう人が偶然にも間近に住んでいて、おまけにその子どもたちがちょうど、教室でお預かりする年代だということでした。
     おかげで、田中さんとも直接のお付き合いができるようになりました。




     3年前にこの教室を開講するときに、ここで酒席が設けられました。その時の様子はこちら。

    客人


     まだ黒板も入っていない中で、最初に行ったのがこれでした。


     そもそもはここを始めるという話をどこかできいた田中さんから、一度説明をというご依頼のお電話があり、そのときに、ではまず飲みましょう、という偶然の流れからです。


     洋酒追求に半生をかける言語担当先生の趣味にかなっているという面もありましたが(?)、まさにかかわる人こそが、この場をつくることになるという意味で、この教室にとってふさわしい宴になりました。


     実際はこの場で、教室の教育方針などはほとんど何も語らず(つまり何も説明らしきことはせず)、おたがい興味のあることを楽しく語り合ったというだけだったのですが、最後に田中さんから、われわれに対し、子どもを通わせるにあたっての、親としての「注文」はひとつだけでした。


     先生方には、どんなことをやっていただいてもかまいません。好きなことをやってください。


     というものでした。

     
     このような言葉から得られる解放感。それを実感した瞬間でした。


     これで、この教室の方向性が決まったと私は思いました。
     




     1年後の春に、ふたたびほんの偶然から、この講座が開催されました。(この本のあとがきに触れられています。)


     お仕事などの都合に合わせて、昼開催と夜開催の2コースで3回ずつ行われました。

     それぞれが10名前後の方に来ていただいたのですが、子育て真っ最中の方、子育てを終えた方、これから子育てをする立場になるだろう方、いま育てられている立場の青年など、年代も男女も混成の、多様な人たちでした。


     講座の雰囲気は、田中さんのお人柄を反映して、じつに穏やかな、ユーモアのあるもので、テンポが良いのもあって、2時間があっという間でした。


     しかし内容は、フロイトの防衛機制に一回を割くなど、学問的な背景を押さえた本格的なもの。かつ、自分自身と子どもとの関係に限らず、子どもとしての自分とその親との関係にも思い至らせる、切実なものでした。


     そして講座後の質疑の場面でされるお話も、どれも誠実で真摯で、親子関係がいかにどの人にとっても大きく重要なものであるかが改めて感じられました。


     おかげさまで、ご参加の方々にご好評もいただいた、この講座でしたが、そこに見学にきていたのが、さきほどの最初の酒席で知り合った大隅書店の大隅氏。




     自分の名前の出版社をつくるということで、良い素材を探していた彼に、この講座を見て出版を提案していただいたのです。




     それから一年半。お手軽な本のあふれるこのご時世に、本気で本をつくるとはどういうことであるかを、間近にみることができ、私自身にとって貴重な経験になりました。



     この講座の段階でも十分に面白く、内容的にも完成したものであったにもかかわらず、各段階で大隅氏は厳しい注文を田中さんにつけていきます。これでもか、まだこれでもか、という具合です。

     出版はそのたびに遅れていくわけですから、彼にとっても決してのぞましいことではないはずです。しかしうちの出版社から出すには、妥協はしない。完璧を求めるという姿勢は一貫していて、プロの凄みを見せつけられました。


     凄さという点では田中さんも同様でした。もともと文章家でも読書家でもある彼にも、各段階で完成水準の自負はあったはずです。それを何度も大隅氏は、突き返す。このときの田中さんの心境は想像できます。しかし不平の一言もいわず、その注文に対応して、さらに書き直していくわけです。そのたびに、更に質が上がっていく。


     参加型の本作りを掲げる、大隅書店の方針のおかげで、その場にわれわれも参加をさせてもらいました。


     教室に何度も集まっては、「子供」とするか「子ども」かという点にまで濃密な議論を重ね、我々からの疑問も質し、内容が推敲されていき、タイトルが決まっていくという現場への参加でした。


     私にも途中原稿を読んでの、文章が大隅氏から求められたことがありました。真剣勝負をしてくれ、という注文でした。書き上げた文章を送ったのは、東日本の震災からまもない夜でした。



     あらためて書き直すべきかとも思いそれを載せることは控えてきましたが、いま読んでみても、これはこれでこのままが良いのだと現時点でも思えましたので、このページにあげておきます。

     子どもを信じることを信じること


     最終段階で、ゲラを読み、この内容ならということで、岡田千晶さんに挿絵を描いていただけることが決まったときは、わがことのような喜びもありました。



     そうして、彫琢に彫琢を重ねられて、この本。

     「子どもを信じること」

     は、出版に至りました。昨年の9月のことです。大隅書店の刊行本の第1作目にもなりました。



     出版後は、各方面で好意的に取り上げてもらい、いくつもの新聞や専門誌などで書評が掲載され、講演会もいくつも企画され、テレビ取材も決まりました。

     決して、安い値付けの本ではないのですが、読んだ方による周囲へのご紹介や、贈り物にしていただくことなども多かったようで、重版となることが決まりました。
     


     長く読み継がれる本を、ということがそもそもの目標でしたが、そうなりえた結果だとも思います。また、実際にこの本によって、少なくない命が具体的に救われるのではないかとも考えます。売れているということそのものよりも、そのことが何よりも価値だろうと思います。
     


     もう少し、早くこの本について触れるべきだったのかもしれませんが、関わりすぎていることもあって書きにくく、先延びになっていました。しかしちょうど今がタイミングでしょう。お預かりした一人、長男のこの教室からの卒業でもあるからです。


     慈雨、おめでとう。


     キミが2年前に、授業中の雑談で、友人たちに向かって、何の気なしに
    「家ってほんと、いいよなあ。くつろげるからなあ。」
     と、しみじみ言った場面が忘れられない。お父さんやお母さんにとっては何より嬉しい言葉だと思う。いつか、お二人には伝えようと思っていたが、ここで伝える。

     

     あのような飾りない、気負わない言葉がわが子から、ふともれるということこそ、「子どもを信じること」の何よりの結実だと思います。


    石橋


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    theme : 子育て・教育
    genre : 学校・教育

    生きる力

     長く間を空けてしまいました。
     なかなか書くことができなかったからです。


     新年度を迎えるというところで、ずっと昔の教え子の突然の訃報が届きました。通夜で見たその死に顔がずっと頭を離れませんでした。


     一人の死には関係ないかのように、日々の生活はそれでも続いていきます。その日常を送りながら、いろいろなことを考えました。実にいろいろなことを。



     彼を教えていたのは私自身も多くのことを学ぶことのできた非常に理想的な場でした。しかしああいう場で学び、実際に溌剌とし、自立した人格として出て行った彼にさえ「社会」は時に厳しかった。



     あらためて、この教室の運営はこれで良いのか。目の前のこの子たちもいつか、「社会」に出ていきます。そのことを踏まえたうえでなお、この構え方で良いのか。
     その再度の検討なしに、発信は控えようということでした。


     この種の考察において、私はすでにかなり若いころに、「反省」といった種類の振る舞いはやめることにしています。おそらく「反省」とはそれとの向き合いをむしろ避けるためになされる「儀式」であり、共同体の不具合をおさめることを主眼としていると思うからです。


     むしろ必要なことはいわば反芻だと考えます。何度も何度も同じ箇所を巡りながら、腑におちるまで繰り返す。そのためには相応の時間が必要です。



     もちろん、学校でさえない場で教育できることといっても知れていますし、その力を過信しているわけではありません。
     この場でもいつかそういう場面があるかも知れないということは、始める前にも話をしていました。

     私たちにそれを止める力や、救い出す人格があるというような驕りもありません。こうすれば大丈夫だという確実な道もわからない。
     ただひとつ。われわれまでもが、それを後押しするように追い詰めていく流れや「たくらみ」に加担しないようにはしたい。
     そして時には、多少の逃げ場にはなれないかとは願います。




     ここではこれまで、学力や集中力のことばかりではなく、性や狂気についてもそれとなくは触れることもありました。しかし死については、意識して避けてきました。

     それは大した問題ではないからではなく、むしろ青少年たちにとって、きわめて身近で大きなテーマだと考えていたからです。
     ある意味では青年たちにとって、そのことがすべてだと言っていいのではないかとさえ思います。



     そもそも生きることと死とは不可分です。

     青年たちはこの先どう生きていくかということについて悩み続けます。それは同時に、いま目の前のこの死の誘惑とどう折り合いをつけていくかということでもあります。

     たとえば、毎朝、通学電車がホームに入ってくるときの、無意識に抱く緊張感については、何人の高校生からきいたことか。青年たちの(そしてもちろん少年たちも)、ほんの軽い会話の中に、死ねとか、俺死ぬとかといった死に関係する言葉がどれだけの頻度で入ってくるかについては、気づいている人も多いでしょう。

     
     はたして、青年時代に死の誘惑に駆られなかった人など、いるのでしょうか。


     私は今までにさまざまな告白を受けてきたことがあります。その中で、自分はこれまでに死のうと考えたことが何度かあるというものも珍しくはありませんでした。本人はきわめてまれな願望であると考えていて、気味悪がられるのをおそれて(親も含めて)他人には言うのを控えていたということも多かった。
     しかしそれほど珍しくはないし、むしろ普通だということを伝えると安心する様子でした。
     


     しかしその水準ではなく、子供が実際に常に死の淵をさまよっているような状態になるという場合もあります。そのような家庭がどのような光景になるのか。

     
     あるお母様からの「娘が明日の朝も2階から生きて降りてきてくれるのか」という毎夜の不安の訴えは忘れることができません。


     子供についてなんとか算ができないとか、何々試験の点数がどれだけ悪い、あれが足りないこの部分がまだまだといった相談を延々と語り続けるような親御さんも時にはいます。そういうときに私はどうしてもこの訴えを思い出してしまいます。
     この子が明日も元気に2階から降りてきてくれるということを疑わずにいられるという幸福感。
     そういう肯定感が前提にあれば、子供の不足を何時間も語り続けることは難しいのではないかと思ってしまうのです。
     自分の子にそのような「繊細」な部分なんてないと、小ばかにする(過小評価をする)ような癖がついてしまっている人も時に見られますが、おそらくその子の青年として成長した内面を知れば驚くのではないでしょうか。


     ただ、たしかにこういうことは実際にそうならないと実感できないことなのかもしれません。
     私自身も他分野の自分が経験をしていないたいていのことについては同様でしょう。




     ところで、こうして考えている間も、日々、教室の子どもたちとは接しているわけですが、そのうちに不思議なことに気づきました。

     本来、私たちはこの子たちの支え役であるはずです。
     しかしこの子たちの日々の笑顔や、あいさつや、真剣な取り組みや、靴を脱ぎ散らして部屋に駆け込んでいく姿まで、そのひとつひとつの動きに接しているだけで、私自身にとっても実に癒しとなり、力を得ることができたのです。

     特に、直後の4月はこの子たちにどれだけ救われたことか。たとえば沖縄旅行記におけるT君のお気楽な、しかしだからこそたくましい生命力には、まさに直後だっただけに、大きく支えられました。



     それにしても、この教室を始めたことは確実に私自身にとっても良かった。


     おそらくそういえるような場でない限り、子どもたちにも肯定感は与えられないし、必要な時に支える場にもならないでしょう。
     問題のある場、病んでいる場では、スタッフ側にも充実感も満足感もないことが多いものです。
     その意味でも、基本的な部分でそれほど勘違いした方向にはいってないだろうということがこの期間に確認できたと思います。


     具体的な内容に関しても、再度検討をしました。それは今後の現場でも地味ながら堅実な形で反映をしていくことになりますので、ご期待を。


     さて次回からは、今年度の様子のご報告をしていきますのでお楽しみに。


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    genre : 学校・教育

    生命の樹

     ちょうど一週間前。

     たいていの年について,この日はあわただしく講義をこなす一日に過ぎないということが多かったわけですが,今年は何の巡り合わせなのか,祝日の連続となり,家族と過ごすことができました。

     家族をもつということはこれは不思議なことで,このような歳の父親についても相応に祝ってくれるわけです。
     特に幼い子どもたちは心から嬉しそうです。もちろん美味しいケーキも目当てではあるのでしょう。
     その屈託のない笑顔と舌足らずの言葉は癒しを与えてくれます。

     この年代の子どもたちのいる家庭に限定である種類の幸福感なのでしょうか。


     ここ最近のいくつかの出来事のゆえか、久しぶりにアンドレイ・タルコフスキーの「サクリファイス」を想い出しました。

     誕生日を迎えた老教授である父親とその息子,および家族らの一日を追った映画です。


     いくつもの場面が記憶からよみがえります。

     言葉を失ったまだ幼い子供と父親が枯れ樹を植える長廻しの場面から映像は始まります。
     マタイの受難曲のアリア「憐れみ給え、わが神よ」が延々と流れ,木漏れ日はひたすらに美しい。

     映像が続く中で父は枯れた木に3年間水をやり続けて甦らせた僧の伝説を息子にとつとつと語り続ける。
     息子はただじっと聞いている。

     映像は核戦争の勃発を遠くから伝えるニュースと暗闇と魔女と、舞台のような時空間の中でこの家の人物たちが見せる不可思議な舞踊的演技をつなげていきます。
     老教授は自分を捧げることによって、この世界を救ってもらうように膝折って神に初めて祈ります。
     一夜のうちにさまざまな出来事が生じ、巡り、去っていく…


     そして平穏な朝が訪れます。

     老教授の誓いを果たすために家には火が放たれる。猛烈な炎はそれでも魅惑的に一種神々しい。


     ラストは父親の言いつけどおりに子どもがひとりで水を枯れ木に注ぐ場面です。
     そこでもアリアが延々と流れ続ける。

     子はそこで再び言葉を得る。

       はじめに言葉ありき…
       なぜなのパパ?



     「昨日植えた枯れ木のそばでアレクサンデルは坊やの姿をみた。
     彼は大きなバケツで水を運んでいた。
     坊やは汗をぬぐいバケツを持って木に近づくと幹の根元に寄せてバケツを傾けた。
     焼け付く大地が水を飲み干した。どれだけ水をやればいいかは分からない。
     だが枯れ木が花をつけるまで彼は毎日水を運ぶだろう。
     花は咲くと父は言ったからだ。」


     タルコフスキーはこの映画の完成後、病床に伏し、同年暮に「亡命」先の地で亡くなります。
     撮影中には末期の癌が判明していたのでした。
     

     この祈りを込められた作品は、息子に捧げられています。

     
     「この作品を息子アンドリオシャに捧ぐ
      希望と確信を以て

       アンドレイ・タルコフスキー  」


     続きはまたいつか。

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    数理言語教室 ば

    Author:数理言語教室 ば
     「小学から高校までの12年教育」
    【小1から始めて、集中力、継続力、自発性ある子に】

    ****************

    ■子どもたちは樹の香りのする寺子屋風の教室で、無垢の木の机を囲み、床に座ってのびのびと学習します。

    ■大学受験予備校講師や中学受験指導経験豊富なプロ講師が難関大学突破水準を目指し、12年間をかけて、子ども自身に読ませ、書かせ、考えさせることを徹底するという本来そうあるべき方法で丁寧に指導し結果的に高水準の学力をつけていくことを目指します。

    ■「自分からなかなか始められず、始めても続かない」「親や教師が常に横についていないと、まともに前も向いていられない」といういまどきの手のかかる子ではなく、長期間をかけ、集中力、継続力をつけ、自発的に学習できる子に育てていきます。

    ■設置講座:新小1、2、5、6、中1、3高2。小6年英語。

    ■ベテランプロ講師による医学部東大京大など難関大学、超難関中学受験個人指導、少数限定募集。

    ****************

     高の原駅近くに寺子屋形式の教室を開きます。
     子どもたちが杉の床に座り無垢の一枚板に向かって,たのしみながら,のびのびと学ぶ教室です。

     大学,中学受験のベテランプロ講師が,進学中学高校によらず,東大京大国立医学部など難関大学を目標に,小学1年生から高校3年までの12年間を一貫指導します。

     小手先の受験テクニックの暗記ではなく,長期的視点で「読む」「書く」「聞く」「考える」の基本から丁寧に習得することで,余裕をもって受験も突破するという本来そうあるべき形で学習を進めていきます。

    ※詳しくはお問い合わせください。


    ****************

    南野和俊〔代表「言語」担当〕
    :専門 受験国語

    難関中学,高校受験対策指導のベテラン。

    小学生の国語力を戦略的に着実につけていく指導で人気を博する。これまで関西の有名難関中学に数多くの教え子たちがいます。
    一方で大学受験生の指導も長く,多い。

    東京の超難関有名中高校を卒業後,大学では法学を専攻し,有名銀行での社会人の経験もあります。

    カメラから鉄道まで博覧強記。洋酒をこよなく愛し,パイプのコレクターでもあり,アメリカやイタリアのパイプ作家たちとも親交があります。

    石橋英樹 〔「数理」担当〕
    :専門 受験数学,物理学

    大学時代から20年以上を京都で過ごしてきました。

    大学での専攻は天文学。
    科学全般,思想,文学,文化人類学,社会学、映画論など,多くの分野に関心があります。

    超難関大学受験指導経験が20年以上あり、特に京大や国公立私立医学部には多数の生徒を送り込んできました。

    大人数相手の講義から個別指導まで各形式での指導経験豊富。
    大学受験生はもちろん,大学生,社会人,外国人留学生まで様々な指導経験があります。

    京大トップの学生から,全くの0の学力の学生まで,あらゆるレベルの生徒への指導経験多数。

    妻およびまだ幼い娘、息子、そして猫と暮らしています。

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