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    図1


     ある日の教室入り口の光景。 

    子どもたちと付き合うようになって、気づいたのが、これ。

    子どもというのは、ほうっておけば、靴なんかそろえないんだということ。

    同時に、この「靴をそろえる」ということへの強迫は、かなりの大人たちに見られるということ。

    始まった当初、小学生まで戻って子どもたちを教えることにした、と自分の教室を紹介すると、ああ、靴をそろえさせるところからやるんですね、といった言葉が返ってくることが多いので意識しはじめた。

    先生と呼ばれる人にも、ここへこだわる人はかなりいて、いわば「試薬」になることもわかった。

     

    それは靴をそろえてあいさつをしながら教室に入っていく子と、脱ぎ散らかして遠方からジャンプして入っていく子をみると、これまでのしつけられかたや、あえて言えば「育ち」のようなものが出てしまうのはたしか。

    しかし、すべての基本でしょう、と問答無用に核にすえる人を見ると、素朴に、なぜかと思う。

     大切なことは、実は他にもたくさんたくさんあるはずで、その中からなぜこれを取り出してしまうのか。

    それはおそらく脱ぎ散らかして叱られる子どもの問題ではなく、そこになにより着目してしまう、その人の無意識の問題だとわかってきた。

     

    これは象徴的な箇所で、これだけは許せないといった、根源的な拒否は、実はあいさつできるできないなんかより、かなりきついものだと思う。

     

    じゃあ脱ぎ散らかした方がいいんですか?もちろん、違う。

    やっぱりそろえた方がいいんですね?それも違う。

    そろえるかそろえないかという、なぜそれなのか。なぜ延々とそこが気になるのか。

     

    おそらく本人にもどうしようのない世代をまたぐ伝達の問題なのだろうけれど、「靴」はほんとうに象徴的で、実にわかりやすいので、このように言葉にして取り上げることはできる。

    きっと言われた人たちは、ちょっとだけ意識をすることだろう。

    しかし見えにくい「靴のそろえ」のような強迫が実はいたるところにあふれていて、特に子どもたちは強制的にそれに取り囲まれている。

     

    では、どうするのか。

    そこに違和感をもち、気づいた者が、一つずつ丁寧に、言語化(意識化)していくしかないのだと思う。

     

    この種の話をした時に、反応はいつも両極端になる。

    根源的な箇所に触れられたという怒りや反発を感じる人とは、まだしも可能性があるか。

     気まずい沈黙で、そわそわしはじめる、といった場合は、これはなかなか届かない。

    この話の結論は、たとえ靴をそろえなくても子どもを叱ってはいけない、ということではないんですよ、と付け足すと、(場によってはほぼ全員が)あっけにとられることも珍しくない。

    いっぽうで、そういう言葉にこそ共感をもってくれるような人も必ずいる

    そういう人とは、そこからこそ関係を始められることもある。

    さて次の集まりではどうかな。



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    genre : 学校・教育

    しゃべらない子どもたち

     息子や娘が突然しゃべらなくなったんです。

     高校生や中学生を担当していると,保護者からこういう相談がよくあります。ほとんどは母親からのもので,息子についてのケースが多い。
     それまでは,学校から帰ってきたら,今日一日起きた出来事をあれもこれもと事細かく報告し,自分の体験を親といわば共有してきた子どもが,あるときを境に,ほとんど報告をしなくなる。それどころか,呼んでも振り向きもしなくなるし,たまの返事もあいまいな最短の単語だけになってしまう。

     これが始まると,親には子どもの学校生活が見えなくなるので,急に不安になります。本人との直接の会話では状況がつかめなくなってしまうので,わたしたちが色々な様子をかわりに報告したりもするのです。
     わたしたちは,このような相談を受けると,逆に少し安心をします。どの子どもたちも成長の過程で通らなくてはならない,親からの自立へ向けた第一歩であると見なすからです。家庭ではほとんど言葉を発しなくなった子どもでも,教室では活発にあれこれしゃべっていることも多いのです。

     これがこれまでの一般的認識でした。

     しかしどうも近頃,異なると思えるケースもしばしば見られるようになってきました。

     先日のことです。某予備校の有名どころの講師と,たまたま質問が途切れた時に,講師室であれこれ世間話をしていたときがありました。

     そのときに,ひとりの生徒が質問に入ってきたのです。わたしたちは話を中断しました。彼は先ほどの講義を書き写したと思われるノートをもってきて,講師の前に広げます。講師は,それを見て,さっきのやつやな。どれがわからない?これか,それともこれ?といくつか列挙します。いくつめかの,これか?に,彼がうなずくと,その講師はそれについて,改めて説明を早口で行います。途中彼がちょっと首をひねる場面があると,とっさにそこについて更に丁寧な説明を加えます。
     そうしてひととおり終えたあと,彼にわかった?と確認をすると,彼はうなずき,講師室を出て行きました。見事なさばき方です。
     
     今の彼,結局,一言も発しませんでしたね,とわたしが驚くと,ああいけないいけないと,その講師は反省を始めました。こういうようにしてはいけないとはわかっているんだけど,大勢を短時間でこなすにはこのようなやり方しかないと,嘆息をしていました。
     わたしの意図は,その名人芸の域のさばき方への感心と,その生徒のかたくなさへの驚きの表明だったし,付き合いも長いのでそのことはわかってもらえてはいるのですが,それとは別にほんとうに反省している様子です。この人は良心的な性質なので,こうなるのでしょう。

     しかしこのような対処になってしまうのは,この種の生徒に対しては,事実上やむを得ないところがあります。
     彼のペースにあわせていると,まず彼の最初の一言目の発声まで延々待たされることになる。その後の,二言目も同様な長間隔になることは間違いありません。しかも彼らはほんとうに必要最小限の発声しかしませんから,要領をえないやりとりを幾度もかわさなくてはなりません。後ろに並んでいる他の生徒たちのことを考えると,とてもそこまで時間をかけることはできない。したがってそのような対処になってしまうのです。

     こういう生徒は特定の一人や二人ではありません。程度をもう少し広げれば,このようなタイプの生徒は実はかなりいます。質問にくることができる生徒は,まだ「まし」な部類です。
     こういう生徒の対処を繰り返していると,我々も鍛えられて,結果的に「名人芸」になるわけです。
     
     彼らは家庭で親とは会話をしなくなるということとは別の水準で,「言葉を失った」子どもたちだと思います。
     しかも一般的に口べたの多いと思われる男子だけではなく,女子も確実に増えているように感じます。

     彼らはこのような状態で,これまでどのようしてやってこられたのか。まず考えられるのは,これまで他人とのやり取りを必要とする場面では,その実際を親がほとんど代行していたのではないかということです。これはたしかに大きな原因でしょう。
     記憶をたどってみれば,授業中にあまり当てないでくれという依頼が,本人ではなく,親から電話でくるようになったのは,90年代の半ばをすぎたあたりからで,そんなに古いことではありません。

     ただ,最近の親のしつけのせいだと断定して終わり,では済まない何かがあるような気がしてしょうがない。そしてこれからもこのような子ども(および大人)が増えていくという予感もしてしまう。
     これもゆくゆくはもうすこし詳細に検討をしてみたいと思います。

     いずれにせよ,彼らは社会でどのように過ごしていくのかが心配になります。社会では誰もこのように彼のためにすばやく選択肢をあげてくれたりはしないはずですから。そして彼の発声をじっくり待ってくれたりはますますしないでしょうから。

     ただこのように言葉を失ったと見なされるような子ども,というより青年たちと,わたしは時間をかけてじっくり接したこともあります。
     実は彼らのペースで話をさせると,それはそれでたいへん興味深い内面世界をもっていたりすることもあります。ユーモアのセンスに富んでいたりすることも多い。
     そのあたりも,機会があれば,またいつか紹介をします。
     

    数理言語教室 ば
    H.I.
     

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    親の思い

     今日は3歳の娘が保育園を休みました。

     朝,わたしのところにうれしそうに近寄ってきて,おなかが痛いから,今日はやすんだと言います。だから,パパ遊ぼうと。遊ぼうって,おなかは?と問うとおなかはいたいと言い張ります。でも遊ぼうとにこにこしているのです。おなかが痛いというのはウソなのかと問うと,素直にウソだと返します。
    でもやっぱりおなかはいたいと言います。ママが見てないから,今日はチョコを食べてみようかとも。

     (ちなみにウソをつくのが可能だというのは,よく考えるととても不思議な現象です。自然法則的なきまりであれば破ることはできませんが,ウソはつくことができる。単純に人の決めた規則にすぎないからという以上の背景があると思います。人が何歳からウソをつけるのかというのも,それに関連して興味深い問題です。)
     
     さて,わたしも講義がありますから,彼女を妻に引き継ぐために送っていかなければならない。車中で,彼女は饒舌です。間をあけずにずっとひとりでしゃべり続けている。さて問題です,パパにもわかる問題です。ガソリンの仲間はなんでしょう?はい時間です。黄色でした。さて次の問題です・・・と番組の司会者になって次々と早口にまくしたてます。

     子どもをもつようになって,しみじみ実感するようになったことがあります。

     自分が生徒として受け持つようになるまでの10年や15年といった過程には,親や周囲の者たちのさまざまな‘思い’がこめられている。生まれてきてから,毎日毎日おしめをかえ,ひとつずつのことができるようになるたびに,新鮮によろこび,ともに笑い,ときには泣く,そのような日々を経て,いまの姿があるのだという,そこまでの時間の蓄積が見えるようになりました。

     同時に目の前のこのような天真爛漫な幼女たちが,わたしの知っている,傷つき,病み,目の力を失ってしまったあの青年たちになるまでの間にはいったい何が起きてしまうのか。それを強く感じるようになりました。

     原因はいくつも考えられます。たとえば家庭や親の何らかの欠如はよく挙げられる要因ですが,しかし親や家庭に欠如があってはならないとしたら,誰もが子どもを生むのにたじろいでしまうでしょう。どこに欠如のない家庭などというものがあるのか。「完璧」な親がいったいどれだけ存在するというのか。
     それはそのような強迫を利用して「商売」をしたり,「権力」を確保している人の言説の中のみにある抽象でしょう。場合によってはこの種の強迫こそが原因のひとつである可能性も考えられる。特に小学校を巡る周囲にはこの種の強迫があふれているように観察されます。
     これもいろいろな場面で,これからもふれていこうと思います。

     さて娘は,送る途中で,父の甘さにつけこんで,アイスクリームをねだりました。無心にストロベリーアイスを食べている様子はギャルそのものです。最後にはママには内緒よと付け加えることも忘れませんでした。
     これで食事がすすまずに,ママにしかられてなければ良いのですが。



    数理言語教室 ば
    H.I.

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    プロフィール

    数理言語教室 ば

    Author:数理言語教室 ば
     「小学から高校までの12年教育」
    【小1から始めて、集中力、継続力、自発性ある子に】

    ****************

    ■子どもたちは樹の香りのする寺子屋風の教室で、無垢の木の机を囲み、床に座ってのびのびと学習します。

    ■大学受験予備校講師や中学受験指導経験豊富なプロ講師が難関大学突破水準を目指し、12年間をかけて、子ども自身に読ませ、書かせ、考えさせることを徹底するという本来そうあるべき方法で丁寧に指導し結果的に高水準の学力をつけていくことを目指します。

    ■「自分からなかなか始められず、始めても続かない」「親や教師が常に横についていないと、まともに前も向いていられない」といういまどきの手のかかる子ではなく、長期間をかけ、集中力、継続力をつけ、自発的に学習できる子に育てていきます。

    ■設置講座:新小1、2、5、6、中1、3高2。小6年英語。

    ■ベテランプロ講師による医学部東大京大など難関大学、超難関中学受験個人指導、少数限定募集。

    ****************

     高の原駅近くに寺子屋形式の教室を開きます。
     子どもたちが杉の床に座り無垢の一枚板に向かって,たのしみながら,のびのびと学ぶ教室です。

     大学,中学受験のベテランプロ講師が,進学中学高校によらず,東大京大国立医学部など難関大学を目標に,小学1年生から高校3年までの12年間を一貫指導します。

     小手先の受験テクニックの暗記ではなく,長期的視点で「読む」「書く」「聞く」「考える」の基本から丁寧に習得することで,余裕をもって受験も突破するという本来そうあるべき形で学習を進めていきます。

    ※詳しくはお問い合わせください。


    ****************
    石橋英樹 〔「数理」担当〕
    :専門 受験数学,物理学

    大学時代から20年以上を京都で過ごしてきました。

    大学での専攻は天文学。
    科学全般,思想,文学,文化人類学,社会学、映画論など,多くの分野に関心があります。

    超難関大学受験指導経験が20年以上あり、特に京大や国公立私立医学部には多数の生徒を送り込んできました。

    大人数相手の講義から個別指導まで各形式での指導経験豊富。
    大学受験生はもちろん,大学生,社会人,外国人留学生まで様々な指導経験があります。

    京大トップの学生から,全くの0の学力の学生まで,あらゆるレベルの生徒への指導経験多数。

    妻および小学制の娘、息子と暮らしています。

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