04
    1
    2
    3
    4
    5
    6
    7
    9
    10
    11
    12
    13
    14
    15
    16
    17
    18
    19
    21
    22
    23
    24
    25
    26
    27
    28
       

    スポンサーサイト

    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。

    Cool Hand Luke クール・ハンド・ルーク

     著名なハリウッド俳優と言える,ポール・ニューマンが亡くなったのは,昨年の9月26日のことでした。

     そのころ,わたしとM先生は,この「ば」の構想をいよいよ具体化していく作業を開始していました。
     「管理」という課題への間合いのとり方も十分に意識的に検討をしていた中での彼の死は,象徴的な出来事でもあったわけです。

     ポール・ニューマンは,その有名度合いのほどには,名作と呼べる作品を多く残しているわけではないですし,特別にうまい俳優でもありませんでした。 
     同世代のジェームズ・ディーンのように陰影もなく,かといってマーロン・ブランドのような狂気もない。このあたりは本来は知的であった彼自身もよく自覚していたようです。

     しかしわたしは,まだ子どものころに,彼のひとつの出演作品をみて以来,ずっと彼の「ファン」でした。

     その作品とは「Cool Hand Luke」です。邦題の「暴力脱獄」の方がわたしと同世代には通りがいいかも知れません。

    Cool Hand Luke

     ウィキペディア(Wikipedia)から粗筋をひいてみましょう。
     
     「戦場で勇敢に戦い多くの勲章を得、一時は軍曹にまで昇進しながら一兵卒として除隊された男ルーク・ジャクソン。彼はある晩酔ってパーキングメーターを損壊した罪で、フロリダの刑務所に収監される。

     刑務所でルークを待っていたのは、過酷な労働や体罰で囚人たちを支配しようとする所長とその部下の看守たちだった。ルークはそこでも権力に屈せず、あくまで反体制の姿勢を貫こうとする。やがてルークは刑務所の顔役ドラグラインを初めとする囚人たちの尊敬を集め、彼らの偶像的存在になっていく。だが、それは同時に刑務所にとってルークが看過できない存在になったのと同じ意味だった。

     ルークの母親の死を口実に、彼を懲罰房に閉じ込める所長。しかしそれはルークにとって逆効果だった。ルークは懲罰房から解放されて即座に最初の脱走を試みるが、すぐに発見され刑務所に連れ戻されてしまう。

     捕獲された後、以前を上回る警戒の中更に脱走を試みるルークだが、それも失敗。彼は苛烈な懲罰に耐え切れず、一度は権力に対して服従してしまう。しかし不屈の精神で再起を果たし、ドラグラインと共に三度目の脱走を試みる。

     そしてルークは逃避行の最中に、夜の教会で一人神に語りかける。」

     このまとめ方はずいぶんお行儀のよい内容になっています。じっさいはもっとギラギラとした印象の映像で,男たちの汗が臭い,泥がべったりとほおにつきます。
     ニューマンは決してスマートな二枚目の役柄ではなく,しかしだからこそ強烈な印象を残します。

     ルークは犯罪者矯正のための道路補修整備作業キャンプで強制的に労働をさせられます。炎天下,延々と草を刈らされたり,アスファルトに砂を撒かされたり。連日,日没までこの労働は続くのですが,彼らの横には黒いサングラスをかけた看守たちが,ライフルを手にずっと監視をしつづけています。囚人達はあらゆる行動を管理されており,立つのも座るのも、眼鏡を外すのにさえ看守にすべて報告させられ,「ボス」の許可を求めさせられます。

     そのような厳格な管理の中でルークは何度も何度も脱獄を試みることになります。

     わたしはなぜ自分が子どものころにこの映画を気に入ってしまったのかを,後に考えてみたことがあります。
     もちろん,映像の鮮烈さはひとつの原因だったでしょうが,それよりもルークがやむにやまれず脱獄を繰り返す。繰り返してしまう。その無根拠さに惹かれたのだと思いました。何か特定の理由があって,脱獄をしようとするのではなく,他人の視線を意識して格好をつけるためでもなく,ただそうしてしまう。そのような衝動がともかく湧いて出るという描写に,強い印象を受けたのでした。

     とはいえ,実は後にやや詳しく見直してみると,たとえば母の葬儀など,それなりの理由らしいことが示唆されていたりしていました。まあこのあたりが限界だったのでしょう。

     ところで,上の文脈とは別に,刑務所での完全管理の風景は,囚人たちの場所だからこその特殊なものだと考えるかも知れません。


     しかしわたしが知っているある全寮制の学校では,質問によるわずか10分の帰寮時間の遅れでも教師の署名捺印入りの証明書を求めさせ,授業時間帯にトイレに行くにもいちいち申請の書類を所持させるようなところもありました。

     しかも親はもちろん生徒自らもそれを望んで入学してくるのです。他よりも高額の授業料を払ってです。自分はきっと一人ではサボるから,誰かに監視し,強制してほしいという,要望なのです。
     これは実際に本人たちの口から出るセリフです。ハリウッドの喜劇もしくは風刺劇の脚本ではありません。

     続きはまた次回に。

    数理言語教室 ば
     H.I.
    スポンサーサイト

    theme : 子育て・教育
    genre : 学校・教育

    やる気スイッチ

     さて世の中は世界同時不況に続いて,パンデミックがほんとうに到来するのかやり過ごせるのか,というあいまいな「不安」の中にあります。
     その「不安」の主語は,私なのか私たちなのか,我が国なのか世界なのか,もしくはそのいずれでもないのか。

     一方で,一見このような出来事とはいまだ無縁に見える日常の中で,「ば」の開講からそろそろ三月目を迎え,子どもたちは元気に教室に通ってきてくれています。
     遠くの地からのニュース音声を背に,元気で無事に通ってきてくれているのは,何よりうれしいことだと実感をします。


     本来であれば前回「先生」のタイプに続いて,「なぜ子どもたちは‘勉強’ができないのか」というテーマで今回は書くはずでした。

     しかし今回は「やる気」について触れましょう。わたしにとって,これまで一貫して大きなテーマであり,教育を離れたとしても,もっとも中心的な関心のひとつです。

     むしろ今日のような日は,このようなテーマに触れるのにふさわしい日だと思います。

     自分の子どもの「やる気」が見られないことで,悩んでいる親御さんはとても多いと思います。

     うちの子は,なぜ思うように「やる気」を出して,頑張ってくれないのか。なぜこんなにいつもいつもだらけてばかりいるのか。なぜ決められた「勉強」もせずにいつも遊びほうけてばかりいるのか。

     これは実は,多くの教師の抱える悩みでもあります。

     これに対しては,どのような「解決策」があるのでしょう。

     もちろん,身体のどこかにある〈やる気スイッチ〉をうまく探し出して,それを押す・・というのは,お手軽でばかげた夢想です。
     そう,夢想のはずです。
     しかしほんとうに?ほんとうにばかげた夢想でしょうか。
     

     「身体のどこかにある」というのを,検索範囲をもう一段拡げてみて,「心身のどこかにある」にしてみてはどうでしょう。それでも〈やる気スイッチ〉はみつからないんでしょうか。

     わたしはこの「やる気問題」を考え始めたのは,最初にバイトで中学生を教え始めた時からです。

     いろいろな学年を教えた経験のある人はおそらく皆が一致すると思いますが,中学生の特に2年生のしかも成績の下位層はもっともやりにくい授業になります。
     ともかく彼らにはやる気がない。しんどいことには一切関わりたくはない。素直にもなりたくない。だけど,権利の要求はそろそろ一人前にはしてみたい。
     彼らは,まともな大人が見れば,実に嘆息すべき存在です。いらいらもしてしまうことでしょう。

     しかし私はいらいらする前に興味が湧いてしまったのです。

     なぜこれほどまでに,彼らはだらけきってしまっているのか。なぜこんなに後ろ向きなのか。果たしてこんな彼らにでもやる気を出させることは可能なのか。もし可能だとしてもそうすべきなのか。

     当時,わたしはベテランの講師たちと怖い物知らずで議論をしていたのを思い出します。

     そのうちの一人,人格的にも尊敬すべき人物は言いました。
     どんなに強制的にやらせようとしても所詮,無理だと。馬を川まで連れていくことは出来ても,無理に水を飲ませることはできないという主張です。

     しかしわたしの立場は違いました。わたしは,そこそこに優秀でその作業に手慣れた人物なら,馬に水を飲ませることは可能だと反論したのです。
     今でもその認識はかわってはいません。素人には無理でしょうが,その道の‘プロ’ならば,それなりにあれこれやって飲ませることでしょう。それが‘プロ’というものです。

     これは中学生相手の場合も同様でしょう。
     有効な方法はあるのです。
     ただ有効だからといってむやみに使うべきかは別問題ですが。

     たとえば,いわゆるスパルタ式と分類されるような方法はやはり有効だと思います。中学生といっても`所詮’は子どもですから,やはり厳しい迫り方をすると,それは効きます。厳しい(顔や態度の)先生の出した宿題はやはりやってきます。そうすると,成績も自ずとそこそこには伸びてくることでしょう。

     しかし,この種の方法で効果を得ている教師は,わたしは個人的には生徒の立場でも合いませんでしたし,同僚として裏から見ていても首をかしげるような人物も多かった。
     この種の強気な芸風は生徒の服従を要求することとセットです。服従をされているうちに,徐々に感覚が麻痺してきているように見えました。しかしこのあたりまでなら,まあ構わないという立場もありうるのでしょう。「成績」を上げるという効果が実際にあるのですから。

     しかしわたしが問題だと思っていたのは,服従をしない生徒への態度です。自分の権威に伏さない生徒には排除や拒否の反応が激しく出てしまう。
     生徒の将来を考えて,あえて厳しい態度をとっているということではなく,結構,余裕のない本気の拒否です。横から見ていると,結局,強気を演じている自分の不安がそのような形で出てしまっているのだという構図がよくわかりました。

     わたしは人物を見るときは,その人が自分の味方ではなく敵に対してどのような態度をとっているかに注目しますが,まさにその点で,首をかしげる態度であったわけです。

     とはいえ,いまの時代,この種のスパルタ式の芸風の個人はすっかり減りました。

     しかしそれにかわって増えたのが,同種の発想で成り立つ組織です。

     個人で言えば厳しい顔や態度であったものが,組織になれば,もちろん厳格な徹底した「管理」ということを意味するでしょう。いまどきは実際には,こっちの方が多いわけです。

     そしてこっちの方が何倍も厄介なわけです。

     しかし続きはまた。  
     
    数理言語教室 ば
     H.I.

    theme : 子育て・教育
    genre : 学校・教育

    「先生」のタイプ’

     4月も半分ほど過ぎました。
     この「ば」の生徒たちも,それぞれ新しい学年や,新しい学校になじみ始めてきているようで,学校のいろいろな報告をしてくれます。
     こちらがきいてもいないのに,あれこれあれこれととめどなく,日常風景を上機嫌に語り続けてくれるような教室の雰囲気がわたしは好きですが,小学生たちはそんな感じになってきています。
     
     ところで,今日は教え手である,いわゆる「先生」について。

     教えるということには様々な側面があり,たとえば,「生徒のやる気をどのように引き出すか」は,かなり重要なテーマであって,「やる気スイッチ」を押して・・・という単純な構造ではありません。
     これに関しての先生のタイプもいろいろあって,しかし,こちらは大物になりますので,また次に機会をつくります。

     今日は,その文脈ではない見方をしたときの,「先生」のタイプについて書いてみます。

     一般に「教える」と言われていることにも,実はいくつかの段階や種類があります。
     まず,自分が問題を解けるかどうか。
     次に解けるとしても,それを子どもたちにうまく教えられるか。
     更に教えられたとしても,子ども達の力を伸ばせるかどうか。

     一見しただけではわかりにくいですが,各内容にはかなりの違いがあります。
    しかも必ずしも,段階的になっているわけでもありません。
     このあたりの違いは,親や生徒はもちろん,おそらく当の先生たち自身もあまり自覚的ではないことが多いのが現実です。
     わたしの経験上では,教務のプロ,目利きではないと,なかなかこのあたりの水準で見ている人はいませんでした。

     わたしは,「ベテラン」に相当する年代なので,かなりの数の先生方の様子をみてきました。評判のいい先生方も,実力はあるのに人気は不思議に出ない先生方も,緊張して講義前から汗をかき続けている新人もたくさん知っています。有望な教え子たちを,大学に入ったあとに教え手でやらせてみた経験も何回もあります。

     新人でやらせてみたときに,まず決定的に「向かない」タイプの人も結構な割合でいます。その人物の良い悪いには関係なく,単に向かない人です。そもそも「気の利かない」タイプの人にはこの職業は向いていません。長く残っている人は,かなりのベテランの人でも,近くや裏から見るとやはりこまやかにあれこれと気遣いをしている人も多い。大御所と呼ばれるような人でもです。

     向かないタイプの人はどのみち短期で離れていくことが多いですし,それはある意味でお互いにとって良いことでしょうし,実はどの職場でも基本的にはそうなのでしょう。(「公務員」はどういう実態かは別として。)

     なかには最初からかなり生徒に受けてしまう先生もいます。特に若い学生バイトではそのあたりは顕著です。とりあえず,若くて明るくてそれなりに格好良ければ(かわいければ)子どもは興味をもつからです。ただ,教科知識という意味では,この段階ではかなり怪しい人も多いのは事実です。

     この受けの良さにうまくはまってしまうと,その後,この職業に本格的に就くということになる場合もあります。人気が出てしまったときの高揚感は,なかなか捨てがたいものがありますから。
     そのうちに,最初は怪しかった教科知識も,さすがに反復で定着してきて,30前後では一人前の「先生」となってしまうわけです。しかもこのあたりまで残っている「先生」はアンケートや教務の目など,一種のフィルターも通ってきていますから,教え方もそれなりにうまい人が多い。

     わたしは「教える」という意味で,特にこのあたりの年代に注目をしています。塾や予備校という意味では中核部隊でもあるからです。

     このあたりの年代になってくると,単純に若いというだけでは受けなくなってきますから,授業段取りも充実してきますし,生徒あしらいのノウハウもかなりのものになってきます。
     彼らの授業後には,生徒たちは質問をしようと列をつくります。その列の長さが一種のステイタスとなるわけです。
     とはいえ,質問と言っても,実際には質問ではなく,人気の先生とのコミュニケーションを求めたり,単に甘えてみたいだけというものも多い。たとえば,典型的な会話は,「せんせいさっきの授業ぜんぜんわからんかった」「どこがわからなかった?」「ぜんぶう」「しょうがないなあ,こんどはよくきいておけよ」・・・となって,ふたたび一から解説が始まるというものです。冗談や笑い声のまじる「良い」雰囲気の中で。もちろんしばしば話は横道にそれます。
     彼ら彼女らは,しゃべり疲れると,ようやく帰っていくわけですが,その生徒は今度も理解したかは怪しい限りです。教える先生もそれはある程度わかっています。

     なのになぜ毎回,それが儀式のように続くのか。

     ひとつは,それが「教える」「教わる」ということだと,双方が思っているからだと思います。

     2つめには,それが心地よいからだということも大きい。こういう和気あいあいの中で過ごせることは,生徒にとってはもちろん,「先生」にも確実に心地よいのです。

     そして3つ目は,そうでないと不安だからです。これは実は授業内容が理解も定着もできていない生徒にとってはもちろん,このように甘えてもらうことで,自分の人気確認,自己の存在価値の確認をしている「先生」にとっても同様です。

     2つ目と3つ目はコインの表裏の関係で,実は同一のことでしょう。
    (なおかつ,もっとも深刻なのは,ひとつ目の内容だと思います。
     つまり,「まとも」な教え方・教わり方というものを,そろそろ知らない世代の先生方も中核部隊になってきているという事実です。)

     わたしは教えるということについてのシステムには,ずっと興味を持ってきましたので,このような種類の教え方をしている先生方とそこに付いている生徒については,意識的に見てきましたが,やはり結局は伸びないことが多い。

     しかし伸びないということは,今時では,そのまま入試突破ができないことを意味するわけではありません。
     いまの時代,志望を下げれば,いくらでも学校はありますし,生徒も別にそれでいいと思えば,それで丸くおさまるという顛末になるからです。
     親にしても,あれだけ熱心ないい先生にべったりついて長時間補習までして教えてもらったのに,結局できるようにはならなかったのは,うちの子どもの能力が足りなかったからに違いないと,納得もすることでしょう。

     しかしほんとうにそうだったのでしょうか。
     
     実はこのような「共依存」的な関係こそが,力がうまく付かなかった一因ではなかったのか。
     ここはもう少し分析してみなくてはなりません。

     続きは次回に。 

    数理言語教室 ば
     H.I.

    theme : 子育て・教育
    genre : 学校・教育

    ロボライズ

     さて,めまぐるしい充実の日々が続いています。

     子どもたちもますます教室になじんできています。
     最初は様子見をしながら,おとなしかった子どもたちも互いにじゃれ合うようになってきました。しかも学年をまたいだ子ども同士で。
     これはいい傾向です。わたしたちを抜いた,子ども同士の世界(社会)も形成されていくことでしょう。

     およそひと月しか経たないのに,こういう雰囲気になるというのは,かなり良い兆候です。わたしも経験が長く,数多くのクラスや学校の新規立ち上げに関わって来ましたので,鼻がきくようになりましたが,これはかなり良い感触です。

     これから長い時をかけて,手助けをしすぎず,口をはさみすぎず,しかしあれこれ適度に刺激をしながらの間合いで,子どもたちを育てていきます。
     きっと,「化ける」子が出てくると思います。
     この場合の「化ける」とは成績上昇程度のことを意味するのではありません。(成績上昇程度を実現することは,実はそれほど困難なことではありません。)このあたりは,以前にの時にも少し触れました。そのうち,もう少し,詳述する機会もあることでしょう。
     
     教室では,春期講座も順調に終わり,いよいよ一学期が始まります。
     春学期にもいろいろな出来事がありました。これもまた紹介していきますが,まずは昨日のことから。

     春期講座の後の一日を利用して,昨日ロボライズを訪問してきました。サイトを訪れてみてください。楽しそうではありませんか?そうです。実際に楽しい場所でした。

     子どもたちが,レゴなどを利用しながら,簡単なものから,複雑な構造のものまで実際に自分の手で組み立てていくという「授業」をやっているのですが,これがなかなかすごいものを作り上げていました。たとえば,そのひとつに「自動車工場」がありました。

    自動車工場

     わたしたちにも最初はどのようなものか,ぴんと来ませんでしたが,スイッチを入れるとレゴのブロックがプログラミングによって動きだし,次々とパーツをつなげていって,最後にタイヤまで自動で付いて車の形にできあがってしまうまさに「工場」なのです。
    自動車

     サイズは大きな机にのるくらいのものですが,一つ一つがよく考えられた精密な部品からできていて,ほとんどすべてを子どもたちが自分で設計,組み立て,プログラミングをしたそうです。一年がかりの作業だそうです。
     毎日新聞でも記事に取り上げられていました。
     http://mainichi.jp/area/osaka/news/20090403ddlk27040333000c.html

     授業の見学もさせてもらいました。やはり教え込むのではなく,自分で工夫し,発見する過程を重視するやり方で,これはわたしたちのこの「ば」にも共通する構え方です。
     わずか一時間の授業の中で,小学校1,2年生の子どもまでが着実な手つき(ベテラン職人のおっちゃんのような手つき)でベルトコンベアーの装置を組み立てていくさまには驚きました。

     その後,代表のT氏とじっくりと話をしましたが,実に真摯で,紳士でした。しかも前向きのエネルギーにあふれた人物でした。
     結局,彼は子どもたちが学ぶことを通して喜ぶ瞬間を見ることが好きなのですね。あの情熱はそこから来ているようです。
     これは,教育産業界の経営者には珍しいことです。その種のことを表面上言う人は多いですが,実際にそう思っている人物というのは実に貴重です。

     このロボライズとは,今すぐではなくとも,これから先に何らかの形で協力をしていけないかと考えています。
     こうご期待。 


    数理言語教室 ば
     H.I.

    theme : 雑記
    genre : その他

    カテゴリ

    最新記事

    プロフィール

    数理言語教室 ば

    Author:数理言語教室 ば
     「小学から高校までの12年教育」
    【小1から始めて、集中力、継続力、自発性ある子に】

    ****************

    ■子どもたちは樹の香りのする寺子屋風の教室で、無垢の木の机を囲み、床に座ってのびのびと学習します。

    ■大学受験予備校講師や中学受験指導経験豊富なプロ講師が難関大学突破水準を目指し、12年間をかけて、子ども自身に読ませ、書かせ、考えさせることを徹底するという本来そうあるべき方法で丁寧に指導し結果的に高水準の学力をつけていくことを目指します。

    ■「自分からなかなか始められず、始めても続かない」「親や教師が常に横についていないと、まともに前も向いていられない」といういまどきの手のかかる子ではなく、長期間をかけ、集中力、継続力をつけ、自発的に学習できる子に育てていきます。

    ■設置講座:新小1、2、5、6、中1、3高2。小6年英語。

    ■ベテランプロ講師による医学部東大京大など難関大学、超難関中学受験個人指導、少数限定募集。

    ****************

     高の原駅近くに寺子屋形式の教室を開きます。
     子どもたちが杉の床に座り無垢の一枚板に向かって,たのしみながら,のびのびと学ぶ教室です。

     大学,中学受験のベテランプロ講師が,進学中学高校によらず,東大京大国立医学部など難関大学を目標に,小学1年生から高校3年までの12年間を一貫指導します。

     小手先の受験テクニックの暗記ではなく,長期的視点で「読む」「書く」「聞く」「考える」の基本から丁寧に習得することで,余裕をもって受験も突破するという本来そうあるべき形で学習を進めていきます。

    ※詳しくはお問い合わせください。


    ****************
    石橋英樹 〔「数理」担当〕
    :専門 受験数学,物理学

    大学時代から20年以上を京都で過ごしてきました。

    大学での専攻は天文学。
    科学全般,思想,文学,文化人類学,社会学、映画論など,多くの分野に関心があります。

    超難関大学受験指導経験が20年以上あり、特に京大や国公立私立医学部には多数の生徒を送り込んできました。

    大人数相手の講義から個別指導まで各形式での指導経験豊富。
    大学受験生はもちろん,大学生,社会人,外国人留学生まで様々な指導経験があります。

    京大トップの学生から,全くの0の学力の学生まで,あらゆるレベルの生徒への指導経験多数。

    妻および小学制の娘、息子と暮らしています。

    月別アーカイブ

    リンク

    最新コメント

    日本文学100選

    Twitter on FC2

    RSSリンクの表示

    Twitter on FC2

    淡々と百人一首

      メールフォーム

      名前:
      メール:
      件名:
      本文:

      QRコード

      QR

      フリーエリア

      上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。