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    生命の樹

     ちょうど一週間前。

     たいていの年について,この日はあわただしく講義をこなす一日に過ぎないということが多かったわけですが,今年は何の巡り合わせなのか,祝日の連続となり,家族と過ごすことができました。

     家族をもつということはこれは不思議なことで,このような歳の父親についても相応に祝ってくれるわけです。
     特に幼い子どもたちは心から嬉しそうです。もちろん美味しいケーキも目当てではあるのでしょう。
     その屈託のない笑顔と舌足らずの言葉は癒しを与えてくれます。

     この年代の子どもたちのいる家庭に限定である種類の幸福感なのでしょうか。


     ここ最近のいくつかの出来事のゆえか、久しぶりにアンドレイ・タルコフスキーの「サクリファイス」を想い出しました。

     誕生日を迎えた老教授である父親とその息子,および家族らの一日を追った映画です。


     いくつもの場面が記憶からよみがえります。

     言葉を失ったまだ幼い子供と父親が枯れ樹を植える長廻しの場面から映像は始まります。
     マタイの受難曲のアリア「憐れみ給え、わが神よ」が延々と流れ,木漏れ日はひたすらに美しい。

     映像が続く中で父は枯れた木に3年間水をやり続けて甦らせた僧の伝説を息子にとつとつと語り続ける。
     息子はただじっと聞いている。

     映像は核戦争の勃発を遠くから伝えるニュースと暗闇と魔女と、舞台のような時空間の中でこの家の人物たちが見せる不可思議な舞踊的演技をつなげていきます。
     老教授は自分を捧げることによって、この世界を救ってもらうように膝折って神に初めて祈ります。
     一夜のうちにさまざまな出来事が生じ、巡り、去っていく…


     そして平穏な朝が訪れます。

     老教授の誓いを果たすために家には火が放たれる。猛烈な炎はそれでも魅惑的に一種神々しい。


     ラストは父親の言いつけどおりに子どもがひとりで水を枯れ木に注ぐ場面です。
     そこでもアリアが延々と流れ続ける。

     子はそこで再び言葉を得る。

       はじめに言葉ありき…
       なぜなのパパ?



     「昨日植えた枯れ木のそばでアレクサンデルは坊やの姿をみた。
     彼は大きなバケツで水を運んでいた。
     坊やは汗をぬぐいバケツを持って木に近づくと幹の根元に寄せてバケツを傾けた。
     焼け付く大地が水を飲み干した。どれだけ水をやればいいかは分からない。
     だが枯れ木が花をつけるまで彼は毎日水を運ぶだろう。
     花は咲くと父は言ったからだ。」


     タルコフスキーはこの映画の完成後、病床に伏し、同年暮に「亡命」先の地で亡くなります。
     撮影中には末期の癌が判明していたのでした。
     

     この祈りを込められた作品は、息子に捧げられています。

     
     「この作品を息子アンドリオシャに捧ぐ
      希望と確信を以て

       アンドレイ・タルコフスキー  」


     続きはまたいつか。

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    theme : 雑記
    genre : その他

    文学と教育

     わたしたちのばも新学期を迎えています。

     生徒達はいまやこの教室にすっかりなじんでしまっており,居心地が良さそうです。
     おかげさまで生徒数も順調に増えてきました。小学の高学年の5年生については,質を保つために,そろそろ一旦募集を締め切ろうかと検討を始めています。


     先日は,わたしたちの教え子だった大学生が,東京から帰省中に数理の授業の助手に入ってくれました。何でもいいから手伝わせてくれと申し出てくれたのです。

     若い先生の登場に小学生たちは大喜びで,開始から1時間以内には,彼女の有無や過去にふられた女性の名前まで次々と自白させられてしまっていました。
     百マス計算では,彼は小学生たちと対決をさせられ,ひとりの女の子が勝ってしまうという「事件」も起きました。日本で最難関といわれる大学の現役学生に勝ったわけですから,彼女も自信になったことでしょう。

     そしてまた,彼にとっても,活発な小学生たちとの交流はいい経験と息抜きになったことでしょう。


     やがて,このばの生徒たちも同様な形でこの教室に帰ってくることになるはずです。


     一方で,中学生高校生たちは20分の休憩の間にもすかさず本を開いて読みふけっています。あちらではアレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」を。こちらでは,クリストフの「悪童日記」をといった具合です。

     わたしにとっても,M先生にとっても,普通はなかなか得ることのできない「幸せ」を感じる光景です。

     高校生の一人は,学校の国語の授業中にも読み続けてしまい,何を読んでいるんだと,激しい剣幕で先生に取り上げられたそうです。ところが,それは漫画ではなくフィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」でした。その先生は本を丁寧に返し,許すと言ったとか。

     いい話です。

     わたしにはその先生の(表情には出さなかったでしょうが)うれしさが良くわかります。国語の先生であるだけになおさらでしょう。
     なおかつ,なにゆえ,そのような希有な出来事が起きているかを不思議に思っていることでしょう。


     もちろん,青年たちは,帰宅後も少しの暇を見つけては本を開いているわけで,幾人もの親御さんから「幸福」な光景であると感慨が伝えられてきます。
     そのような報告を受ける度に,わたしたちのこの教室は,生徒だけではなく,理解の深い親御さんたちに恵まれていると感慨します。

     実際にわたしたちの力だけでは,このような場の維持や運営をしつづけることではできないでしょう。
     実にさまざまな形でこの場をつくることへの理解や協力やあたたかいまなざしを得ているのだと,ますます実感するようになりました。


     先日は,谷崎潤一郎の「春琴抄」を授業中に皆で読み合い,感想を交わすということも行われました。
     これはなかなかきわどい挑戦です。ご存じの通り,谷崎には刺激の強い描写も多い。


     わたしたちはこの教室を始めるにあたり,「生きる」上である意味で必須の暗黒面や狂気などについての知識をどのように得させ,間合いをどう取らせるかということの伝達もゆくゆくは射程に入れたいと考えていました。

     たとえば性的なことは,早めに知らせるのも親にとっては不安でしょうが,かといっていつまでも知らないままでいさせるのも逆にどうかと思うでしょう。これは恋愛などについても同様です。
     いまは澄ました顔で説教をしている大人たちも,過去には経験もしくじりもいろいろあったはずです。
     ただ、これをどう伝えるかというのはなかなか難しい。

     「悪」や「狂気」に対する構えは更に厄介だとわたしは考えています。
     これへの構えや認識は,いわゆる大人でも,かなりの差があるように見えます。
     
     「狂気」への関心や知識は、知性においては必須の教養であるとさえいえるでしょう。
     この方面にうぶなままで、人間を理解できるとは到底思えません。
     しかしいわゆる「学校教育」においてはこの部分が大きく欠落してしまっている。

     かといって、ではそのような内容を青年達にどのように認識させていくのか。これはますます難しい問題ではあります。


     そこで文学の登場です。
     以上のような問題に対して,良質な文学を読ませるというのは実に有効な方法だとわたしは思います。

     実際、これまでも、文学や芸術を通してそれを学んだ人は多かったでしょう。
     もちろんそれですべてが済むわけではありません。しかしすくなくとも世の中には周囲でなかなか出会えないようないろいろな人間がいることはわかりますし,あちら側の人間も実に「人間」だということもわかります。自分と同じ人間なわけです。

     そのような認識を文学に接することで深く知っているのと,悪は絶対否定でまったく知りも見もしていないというのはかなりの相違ではあることでしょう。

     そしていつか、「悪」や「狂気」の淵に立ったときに、自分を「見る」ことが可能かもしれない。
     それは全校集会などで行われる訓示などより、はるかに支えになる言葉になるかもしれないと思います。


     もちろん以上の一切は「読み方」にもよるわけです。これについてもまた実に興味深い多様な内容があります。しかしそれはまた機会があるときに譲りましょう。


     さて英語の授業はいよいよ次の展開を見せ,原書などを講読していくことになるようです。
     戦略的な単語覚えも開始されています。

     このさき,更にどのような展開になっていくのか。これまたご期待を。 


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    数理言語教室 ば

    Author:数理言語教室 ば
     「小学から高校までの12年教育」
    【小1から始めて、集中力、継続力、自発性ある子に】

    ****************

    ■子どもたちは樹の香りのする寺子屋風の教室で、無垢の木の机を囲み、床に座ってのびのびと学習します。

    ■大学受験予備校講師や中学受験指導経験豊富なプロ講師が難関大学突破水準を目指し、12年間をかけて、子ども自身に読ませ、書かせ、考えさせることを徹底するという本来そうあるべき方法で丁寧に指導し結果的に高水準の学力をつけていくことを目指します。

    ■「自分からなかなか始められず、始めても続かない」「親や教師が常に横についていないと、まともに前も向いていられない」といういまどきの手のかかる子ではなく、長期間をかけ、集中力、継続力をつけ、自発的に学習できる子に育てていきます。

    ■設置講座:新小1、2、5、6、中1、3高2。小6年英語。

    ■ベテランプロ講師による医学部東大京大など難関大学、超難関中学受験個人指導、少数限定募集。

    ****************

     高の原駅近くに寺子屋形式の教室を開きます。
     子どもたちが杉の床に座り無垢の一枚板に向かって,たのしみながら,のびのびと学ぶ教室です。

     大学,中学受験のベテランプロ講師が,進学中学高校によらず,東大京大国立医学部など難関大学を目標に,小学1年生から高校3年までの12年間を一貫指導します。

     小手先の受験テクニックの暗記ではなく,長期的視点で「読む」「書く」「聞く」「考える」の基本から丁寧に習得することで,余裕をもって受験も突破するという本来そうあるべき形で学習を進めていきます。

    ※詳しくはお問い合わせください。


    ****************

    南野和俊〔代表「言語」担当〕
    :専門 受験国語

    難関中学,高校受験対策指導のベテラン。

    小学生の国語力を戦略的に着実につけていく指導で人気を博する。これまで関西の有名難関中学に数多くの教え子たちがいます。
    一方で大学受験生の指導も長く,多い。

    東京の超難関有名中高校を卒業後,大学では法学を専攻し,有名銀行での社会人の経験もあります。

    カメラから鉄道まで博覧強記。洋酒をこよなく愛し,パイプのコレクターでもあり,アメリカやイタリアのパイプ作家たちとも親交があります。

    石橋英樹 〔「数理」担当〕
    :専門 受験数学,物理学

    大学時代から20年以上を京都で過ごしてきました。

    大学での専攻は天文学。
    科学全般,思想,文学,文化人類学,社会学、映画論など,多くの分野に関心があります。

    超難関大学受験指導経験が20年以上あり、特に京大や国公立私立医学部には多数の生徒を送り込んできました。

    大人数相手の講義から個別指導まで各形式での指導経験豊富。
    大学受験生はもちろん,大学生,社会人,外国人留学生まで様々な指導経験があります。

    京大トップの学生から,全くの0の学力の学生まで,あらゆるレベルの生徒への指導経験多数。

    妻およびまだ幼い娘、息子、そして猫と暮らしています。

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