新年度 ご挨拶代わりに
「今日思いがけなく、古い友だちから葉書を受け取った。」
この一文から始まるエッセー。
なかなか魅惑的な書き出しで、読ませます。
さすがの串田孫一節。
これが今年の京都大学で出題された国語の問題の一部です。
教室に帰ってきた受験生たちが、これについて熱く語り合っていました。
難しい文章ではありません。
設問はきわめて単純。解答の、「自由度」も大きい。
このような文章を的確に読み、設問の意図を正確に理解し、時間内に解答として書き終える。しかもその文章の内容をしみじみ味わいながら。
こうなると、なかなか難しい。
では、こういったことがいかにして可能か。
漢字や語句など細切れ事項暗記の積み重ねだけでそこに到達するとは到底思えません。
受験界に横行する、素朴な読み取り公式の習得でも対応は難しいと考えます。
というよりもそういう発想の受験生(や、指導者)たちを振るい落とす問題選択なのではないかと推測します。
個人的には、やっぱり、まずは読んでないと話にならないのではないかと思います。
ある程度の読みの蓄積がなければ、解きながら文章の内容を愉しむ、といったところまでは届かないのではないか。
しかも受験対策のために読む、といった顛倒した発想ではない読みの蓄積であることがポイントです。
もちろん、読んでいればいいということでもないのは当然です。
読みだけでなく、「考えること」の蓄積こそがほんとうはより必要なはずです。
加えて、この文の後半で触れられている太陽の光具合にまで気づくには、直接触れ、鋭敏に感じ取るたくさんの身体化を伴う体験を要するでしょう。
どういった学生を迎えたいのか。
そんなところまでを考えさせる、なかなか奥深い出題です。
3月からうちの教室は新年度になり、新入会の子も加わってくれます。
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