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    大学を「志望」するということ

     国公立大学受験生にとって,いまのこの時期はきわめて重要です。

     単に受験という意味においてだけではありません。ここで初めて,自分の志望の実質が問われるからです。
      
     国公立大学の場合,センター試験が終わると,その点をもとに2次試験の出願大学を決めて,実際に出願をするわけですがその期限が来週の半ばです。
     目標としていた点数を順調に取れた受験生は,当初予定通りの大学に提出をすればいいわけですが,問題はそれに足りなかった場合です。

     彼らは選択を迫られます。元々の志望を貫くか,それとも変更をするのか。
    わたしはこの場面でほんとうに数多くの生徒たちの相談を受けてきました。わたしのアドヴァイスは基本的には決まっています。

     まずは成績の客観的な情勢を分析し,伝え,その上で彼らに選択をさせます。その際にポイントになるのは,彼らの志望の中身です。わたしはなぜ彼らがそのような志望をしたかを彼らの言葉で語らせます。

     彼ら自身,自分の言っていた志望をこれほど真剣に検討するのは,実はこのときが初めてであることが大半です。なぜなら,実はそのような志望の理由などを改めてきちんと問いただされる機会もないし,自分で問うこともほとんどないからです。

     話しているうちに改めて思いが募ってきて厳しくても挑戦することもあります。しかし別にそこに思い入れはなかったことに気づいてまったく違う大学や学部にあっさり変更をしてしまう例もかなり多い。

     結局,彼らにとっての「志望」とは何なのでしょう。


     少し迂遠な話をします。

     ずっと遠い昔の暑い日の記憶です。

     夏はとうに過ぎたというのに,その日はひどい熱射の一日でした。空気はゆだって,路面から昇り上がっており,その中をわたしは長く長く歩いてようやく田舎のバス停小屋にたどりついて腰をかけました。どこの場所であったかも,どうしてそこにいたのかも記憶はあいまいですが,潮の香りはたしかにしていました。もう夕刻なのにともかくただひたすら暑く,わたしは疲労困憊でバスを待っていたのです。

     そのときに,人が駈けてくる音がきこえ,そのままバス停の裏側の日陰のような場所に腰掛ける気配がしました。そして二人の子どもたちのとりとめのない会話がはじまりました。

     わたしにはその声たちも,時折通り過ぎる車の音や,残暑の空気のゆらめきの中にあいまいに吸収されて,細かい内容はほとんど届きませんでした。

     あるとき,会話が一瞬途切れます。その他の音も不思議にやんでしまった瞬間でした。ひとりの子が尋ねます。死体を見たことはあるか,と。もうひとりの子は,いやないよ,とこたえます。そして,じゃあおまえは見たことはあるのかと問い返す。最初の子はこたえました。いや,ない。けど,見たことがある友達を知っているよ。

     記憶はそれだけです。たったそれだけの,壁越しにきこえた会話の断片の記憶なのに,あの空気のゆだった生ぬるい感触とともにその後ずっと残り続けていました。

     そのときの違和感の正体は一体なんなのか。

     「知っている」という言葉がひとつの鍵になると思います。


     我々は「知っている」という言葉を実に頻繁に使います。私は父と母を知っている。私は学校の隣の席の誰々ちゃんを知っている。私は数学の先生を知っている。私はあの歌手を「知っている」。私は今の総理大臣を「知っている」。私は過去の作家の誰々を「知っている」。そして自分自身を「知っている」・・・

     我々は知っているのでしょうか。それともほんとうは知ってはいないのか。

     もちろん,「知っている」という中身の定義がなければ,この種の議論をするのはナンセンスです。
     そしてもちろん,一部のマニアックな職業の人を除いては,そんな定義の議論なんてするわけがない。

     たとえばあなたは朝永振一郎を知っているか。アルベール・カミュなら知っているのか。では草野進ならどうなのか。・・・

     なぜ何も迷うことなく,その定義もろくに検討することもなく,我々は「知って」いたり「知らなかった」りということを瞬時に表明できるのか。じつはそれは結構不思議なことなのです。

     そして,その程度の「根拠」で,知っていたり知らなかったりすることを互いに表明しあう会話というものはどの程度の意味があるのか。当然,さしたる意味はないのでしょう。しかし会話が成立しているか否かでいえば,会話はたしかに成立しているのです。

     ここにねじれがあります。


     しかし時間です。
    続きはまた次に。


    数理言語教室 ば

    H.I.

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     「小学から高校までの12年教育」
    【小1から始めて、集中力、継続力、自発性ある子に】

    ****************

    ■子どもたちは樹の香りのする寺子屋風の教室で、無垢の木の机を囲み、床に座ってのびのびと学習します。

    ■大学受験予備校講師や中学受験指導経験豊富なプロ講師が難関大学突破水準を目指し、12年間をかけて、子ども自身に読ませ、書かせ、考えさせることを徹底するという本来そうあるべき方法で丁寧に指導し結果的に高水準の学力をつけていくことを目指します。

    ■「自分からなかなか始められず、始めても続かない」「親や教師が常に横についていないと、まともに前も向いていられない」といういまどきの手のかかる子ではなく、長期間をかけ、集中力、継続力をつけ、自発的に学習できる子に育てていきます。

    ■設置講座:新小1、2、5、6、中1、3高2。小6年英語。

    ■ベテランプロ講師による医学部東大京大など難関大学、超難関中学受験個人指導、少数限定募集。

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     大学,中学受験のベテランプロ講師が,進学中学高校によらず,東大京大国立医学部など難関大学を目標に,小学1年生から高校3年までの12年間を一貫指導します。

     小手先の受験テクニックの暗記ではなく,長期的視点で「読む」「書く」「聞く」「考える」の基本から丁寧に習得することで,余裕をもって受験も突破するという本来そうあるべき形で学習を進めていきます。

    ※詳しくはお問い合わせください。


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    石橋英樹 〔「数理」担当〕
    :専門 受験数学,物理学

    大学時代から20年以上を京都で過ごしてきました。

    大学での専攻は天文学。
    科学全般,思想,文学,文化人類学,社会学、映画論など,多くの分野に関心があります。

    超難関大学受験指導経験が20年以上あり、特に京大や国公立私立医学部には多数の生徒を送り込んできました。

    大人数相手の講義から個別指導まで各形式での指導経験豊富。
    大学受験生はもちろん,大学生,社会人,外国人留学生まで様々な指導経験があります。

    京大トップの学生から,全くの0の学力の学生まで,あらゆるレベルの生徒への指導経験多数。

    妻および小学制の娘、息子と暮らしています。

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